2022.08.14 お盆の九州旅4日目(3) 久留米の水天宮、篠山神社・久留米城 [国内旅行]
JR久留米駅から歩いて10分ほど西に歩いたところに大きな神社。
ここから水天宮の話。
水天宮の扁額の字は東郷平八郎によるもの。
水天宮の本殿に向かう途中の参道にあるのは、真木神社。
江戸時代末期に神社宮司で討幕運動に加わった真木保臣を祀っている。
そして、水天宮の本殿へ。
1185年に壇ノ浦の戦いで敗走して逃れた官女が水天宮を祀ったのが最初とされている。
水天宮と言えば、東京にあるものが有名だが、こちらは江戸時代に久留米の藩主が江戸の藩邸に水天宮の分霊を祀ったのが始まりで、明治時代に日本橋に移されたものである。
水天宮の御朱印だけ直接書いていただき、真木神社の御朱印は書き置きの紙でいただいた。
水天宮の境内裏手を筑後川が流れていて、川の向こうは佐賀県である。
水天宮から北に歩いたところにある梅林寺外苑。
ブリヂストンの創業者の寄付と檀信徒の協力によって整備した庭園である。
梅林寺は広い境内ではあったが、建物内には誰もおらず御朱印をいただけるか聞けないまま後にした。
JR久留米駅まで戻って日吉神社に参拝。
小さな境内に様々な神様が祀られている密度の濃い神社だった。
青面金剛の石像が置かれているのは江戸時代以前の神仏混合の名残だろうな。
日吉神社では3種類書いていただき、特別な1種類のみ書き置きの紙でいただいた。
日吉神社から次の場所へ向かうのに、ブリヂストンの工場に沿って進む。
久留米はブリヂストンの企業城下町。
ブリヂストンの工場群を抜けたところに、石垣造りのところがあり、中に入る。
しっかりと石垣が残されていて、ここは江戸時代に久留米城があったところである。
久留米城の本丸は今は篠山神社となっている。
明治維新後で廃城となって、石垣が取り崩される前に実業家の手に渡って久留米藩の藩主だった有馬氏を祀る神社が1877年に創建されて現在に至っている。
篠山神社の境内には有馬家代々の紹介がある。
江戸時代の中頃に摂津から移封となった有馬氏が明治維新まで11代にわたって久留米の街を守ってきた。
久留米城の周囲は遊歩道になっていて、そこから筑後川を眺められる。
川の向こうは佐賀県。
久留米城の東側は大学病院になっていて、江戸時代は久留米城の城郭の一部だったところ。
大学病院側に久留米城の外に出たところ。
石垣がしっかりと残されている。
篠山神社でいただいた御朱印。
「篠山城」と書かれたものもあるが、他の城にある「御城印」と違って御朱印の一つである。
ハンドタオルまでいただいた。
余談だが、篠山神社の御朱印をいただけるところで、続100名城のスタンプも押せる。
この後も引き続き久留米の神社寺院を巡ります。
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