2023.08.06 夏の大阪旅2日目 大阪市内の神社寺院 [国内旅行]
大阪駅から鶴町四丁目行きのバスに乗って立売堀(いたちぼり)3丁目で下車。
何度か大阪には来ているが、この辺りは足を全然踏み入れていない。
バス停から歩いて5分ほどのところにあるサムハラ神社へ。
「サムハラ」って漢字で書くと画像の通りだが、漢字変換で出てこないのでここではカタカナで書く。
「サムハラ」は古代の神様三神の総称。
岡山県の美作加茂(津山市の郊外)にあった祠が始まりで、戦後にサムハラ大神の信仰を広める目的で大阪に神社が置かれたという。岡山県の祠は現在は「奥の宮」という扱いになっている。
次に向かった先は、難波八阪神社。
2度目の参拝なので、あまり多くは書かないが、この神社に置かれている大きな獅子の頭がこの神社のシンボルになっている。
物珍しさに外国人観光客が多く訪れているのがわかる。
平安時代中期頃に牛頭天王を祀る神社として創建され、現在の社殿は昭和49年(1974年)に再建されたものである。
サムハラ神社の御朱印は紙でいただき、難波八阪神社は御朱印帳に書いていただいた。
次の神社寺院へ向かうのに電気街を通り抜ける。
東京の秋葉原と同様に、電気街でありホビー系のお店も多く存在するエリアである。
電気街を通り抜けて少し進むと、小高いところがあって墓地が広がっている。
ここに清水寺の入口があった。
墓地から大阪の市街地を一望できて、そこに鐘楼もあったが、この状態では鐘を撞くことができない。
清水寺という名前は、京都の同名のお寺から来ているという。
3つのお水が流れているところもまさに清水寺である。
このお寺は再建途中のようで、仏像などは建物2階の仮本堂に置かれていた。
清水寺から歩いてすぐのところに安居神社の裏口がある。
周囲は完全に市街地なのに、この神社だけは木々に囲まれた中に存在していて、違った雰囲気がある。
この神社の境内で、大坂夏の陣で豊臣方についた真田幸村が戦死したとされている。
当時あった松の木は枯れてしまったが、戦後に神社が再建された際に再度植えられたという。
また、江戸時代中期には、大丸の創業者がこの神社社殿修築でお金を出すなどして、別名「大丸天神」とも呼ばれているそうである。
安居神社から横断歩道を渡ったところにある一心寺へ。
山門が何とも近未来的なお寺である。
1185年に法然上人によって創建された由緒あるお寺である。
江戸時代前期の大坂冬の陣では、徳川家康が境内に陣を置くなど、幕府と結びつきが強いお寺であった。今は「お骨仏の寺」として参拝客が多いお寺になっている。
一心寺の裏手に位置する堀越神社に参拝した。
聖徳太子によって創建という部分は先ほどの安居神社と同じである。
安居神社と堀越神社の御朱印。
いずれも直接書いていただいた。
そして、堀越神社から歩いて数分の四天王寺へ。
お寺ではあるが、大きな鳥居を構えているところが、神仏習合の歴史をくぐり抜けた過去を感じさせる。
鳥居は日本で2番目に古い1294年に建てられたもので、扁額も1326年のものだという。
聖徳太子による創建で、日本で一番古くからあるお寺とされている四天王寺。
何度も戦火や天災で被害を受けながらも再建を続け、太平洋戦争の空襲や阪神大震災による被害を受けながらも現在も復元が進んでいる。
清水寺、一心寺、四天王寺の御朱印。
いずれも御朱印帳に綺麗に書いていただいた。
最後に梅田・曽根崎の露天神社へ。通称「お初天神」。
実は、サムハラ神社に向かうバスに乗る前に参拝したのだが、社務所が開くのが遅い時間だったために御朱印をいただけず、夕方に再度の参拝となった。
この神社も過去に何度も参拝しているのであまり書かないが、近松門左衛門の人形浄瑠璃にもなった「曽根崎心中」の舞台にもなっている神社である。
露天神社でいただいた御朱印。
1つだけ書いていただき、残りは書き置きのもの。
書き置きのタイプは他にもいくつも種類があって、参拝の度に何かしら選んでいる。
こんな感じで猛暑の中、大阪市内の神社寺院を歩いて回った。
大阪市内にはまだまだ多くの神社寺院に参拝できていないので、またの機会に参拝しようと思う。
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