2022.11.28 山陽旅3日目 赤穂 [国内旅行]
7時21分の播州赤穂行きは3両編成で上り方面で乗客は少ないと思いきや、座れないぐらい乗っている。
岡山を出発して駅に停車するたびに乗客が増えて、山陽線から分かれて赤穂線に入ったところで通路にも人がいっぱいな状態にまでなり、この状態が西片上まで続いた。
岡山を出て1時間16分後に播州赤穂に到着し、ここで下車した。
駅舎の中から忠臣蔵の街の雰囲気。
駅前を8時50分に出るかんぽの宿行きのバスに乗って18分ほどの御崎で下車。
神姫バスの子会社が運営するバスだったが、Suica使えるのはありがたい。
バス停から歩いてすぐの伊和都比売神社(いわつひめじんじゃ)へ。
バスで赤穂城の先のここまで来たのはこの神社への参拝のため。
平安時代の延喜式に載る古くからの神社。元々は海の上の岩の上に祀られていたものを浅野長直が現在の地に移したのだという。
社殿から海の上に浮かぶ正面の岩まで一直線。
海の前にある鳥居の扁額に注目。
東郷平八郎元帥によるもので、旧海軍の崇敬を受けてきた過去がある。
神社の前にいたネコちゃんがやけに馴れ馴れしくて、ずっとにゃんにゃん鳴いてる状態。
参拝後は帰りのバスの時間まで15分ほどずっとこのネコちゃんを相手をして時間を潰した。
伊和都比売神社の御朱印。
全て書き置きの紙によるものだが、よくできている。御朱印用のクリアファイル入りでいただいた。
御崎からの帰りのバスを県住前で下車。
ここから赤穂城のお話。
米蔵は当時の場所に復元させたもので休憩所として使われている。
内堀の向こう側は本丸。
石垣は整備されているが建物は何も残っていない。
二の丸を北と南に分ける門。
この門の周辺は庭園になっている。
この橋の向こうは三の丸跡で、今も整備が続けられている。
二の丸を時計回りに回って北側に位置する本丸門に到着。
ここから本丸の中に入った。
門のところに日本100名城のスタンプが設置されていて、今回はここで押印した。
赤穂城の本丸は現在はこんな感じ。
江戸時代前期に常陸笠間から移封となって入った浅野内匠頭長直が家老に命じて完成させたお城である。
本丸に藩邸があったが、明治維新で取り壊しになり、後に現在の赤穂高校の校庭と校舎が置かれるなどした過去がある。
写真は天守からの眺め。
本丸から出て北にある大石神社の方角へ。
この辺りも城跡の整備が続けて行われている。
その一角に儒学者だった山鹿素行の像があり、赤穂で暮らしていた過去がある。
大石神社の西側はかつての赤穂浪士が暮らしていた跡が残っている。
大石神社は三の丸の北側に位置する神社。
参道には赤穂浪士四十七士の像が並び、神社の門の前に大石内蔵助・主税親子の像が対で置かれている。
例大祭は12月14日。この日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日である。
その日が近いこともあってか、境内はもう既にお祭りの様相だった。
社殿を時計回りに回ると、忠臣蔵のあらすじが分かるようになっている。
NHKの大河ドラマでも1年かけて放送するぐらいだから、浅野内匠頭長矩の刃傷沙汰から吉良邸への討ち入りがじっくり綿密に練られていた話だというのを感じる。
勝運の神様ということで、絵馬に書いて願う人が多いようである。
大石神社の東側にある門柱も東郷平八郎元帥によるもの。
大石神社の御朱印は見開き絵柄をいただいた。
大石神社の東側に大内家の長屋。
享保の時代に火事にあって忠臣蔵の時代以降はこの建物だけが残っている。
赤穂城の北側から赤穂城を後にした。
播州赤穂駅まで歩いて、大石内蔵助に最後のご挨拶して赤穂を離れた。
この後、姫路まで出て新幹線で東京まで戻り、2泊3日のあっという間の旅の話終了。
夕方は予定が入っていたのでこれにて終了したが、夕方の予定がなかったら日本100名城でまだ訪問していない明石城にも行っていたと思うが、ここは次の機会に。
コメント 0